富士山吉田口登山道馬返
大文司屋
お休み処 茶屋

江戸時代から昭和39年までの長きに渡り富士山吉田口登山道馬返しで営業していた「大文司屋」。この歴史ある「大文司屋」の復活を目指し、33年間働いた都会の職場を早期退職し準備をすすめました。本来ならば、令和2年春から営業する予定でしたが、コロナの影響で登山道は閉鎖され、解除は、夏山シーズンも終わった9月10日でした。 そして、ようやく令和2年9月19日、実に56年ぶりに「大文司屋」を復活再開することができました。 「大文司屋」復活の過程は、多くの難題がありましたが、その分たくさんの方に支援を賜りました。 それらの恩返しのためにも吉田口登山道の馬返しから5合目までの間で唯一の茶屋として、登山者をはじめ皆さまに親しまれるよう営業してまいります。

大文司屋 富士吉田口 馬返し

大文司屋の歴史

大文司屋

大文司屋の始まり

馬返しの由来と大文司屋の始まり

昔は、馬を利用して登山をする人も少なくはなかったようで、そこから先は道が険しくなって馬を引くことができず、馬を下りて山に登り始めるところを、馬返しと呼んだそうです。富士山は麓から頂上までの間が三区分され、それぞれ草山、木山、焼山と呼ばれていましたが、馬返しは草山と木山の境にあたり、富士山の信仰領域の基点となる場所でした。そんな吉田口登山道1合目下の馬返しに遡ること江戸時代、私から5代前の安左衛門によって設立されました。
江戸をはじめ日本各地から多くの富士講が訪れた吉田口は、いくつもある登山道の中で、最も盛況を博しました。人々はここの茶屋で休憩し、道中の身支度を整えました。鳥居の下では正座し、お祓いを受け、身を清めてから富士山頂を目指していたそうです。昭和天皇の御大典に梨元宮が吉田口から富士を登り、大文司屋で休息をとられたこともありました。昭和4年に大月駅~富士吉田駅(現富士山駅)間で富士山麓電気鉄道(現富士急行線)が開通、浅間神社近くに富士山自動車(株)が設立されると、自動車で馬返しまで登れるようになり、一般登山者も吉田口から富士の頂を目指すようになりました。
大文司屋

昭和時代の大文司屋

富士スバルライン開通による閉業

高度成長期に自動車が普及し、昭和39年に富士スバルラインが開通すると、麓からの登山者は激減しました。この出来事は、5合目から下で生業をしている山小屋にとって致命的となりました。富士スバルライン開通を機に5合目から下のすべての山小屋が衰退し、廃業に追い込まれました。大文司屋も初代安左衛門から5代に渡り長く営まれてきましたが、昭和39年に廃業となりました。

明治大学山岳部(炉辺会)との出会い

昭和52年2月、先代父重正は、富士山にクラブハウスを探していた明治大学山岳部OB会(炉辺会)と縁があり、当時使われていなかった大文司屋を同部のクラブハウスとして無償提供することを承諾しました。先代と炉辺会の手で現在の建物のように改修工事を行い、同年8月、明治大学山岳部クラブハウス「明大山荘」として竣工しました。吉田口登山道5合目下にある殆どの建物が崩壊し朽ち果てている現在、唯一、大文司屋が残っているのは、明治大学山岳部に利用され、炉辺会により維持管理されてきたからです。明治大学山岳部は、多くの有名登山家を輩出している名門ですが、日本人で初めてエベレスト登頂を果たし、世界初の五大陸最高峰登頂者となるなど数々の偉業を成し遂げた、故植村直己氏も同部出身、「明大山荘」(大文司屋)を拠点に訓練に励んだこともありました。
大文司屋

平成時代からの大文司屋

富士吉田市開設のおやすみ処(休憩所)として

平成に入ると、登山ブームが起こり、吉田口も麓からゆっくりと登山し自然を満喫する利用者が少しずつ増えてきました。さらに、平成25年に世界文化遺産に登録されると外国人も含め多くの登山者が訪れるようになりました。それに伴うように大文司屋は、夏山シーズンに富士吉田市が開設する休憩所として無償提供されました。市民ボランティアによって運営される休憩所は、利用者の憩い場となり、安全登山の啓発や観光案内などの役割も担いました。

これからの大文司屋

富士山周辺は、世界遺産に登録されたことにより以前にも増して文化財や自然環境の保全に対する規制が厳しくなっており、登山道沿いに新たな建造物を設置することは非常に難しくなっています。大文司屋は、今後、夏山シーズンに限らず春から秋にかけて営業し、茶屋としての活動だけではなく、登山道利用者の安全確保や周辺遺跡や環境の保全などにも取り組んでいきます。また、富士登山の歴史や文化の記憶を伝えることで、地域の活性化に微力ながら寄与していきます。56年ぶりに大文司屋を復活させたことが、大きな意味となるよう取り組んでいきます。

茶屋営業案内

<<営業期間>>

4月上旬~11月上旬

<<営業時間>>

8:30~16:00

※季節により営業時間に変更があります。

※使用水はすべて麓から運び上げています。

節水へのご協力とご理解のほどよろしくお願いします。

<<メニュー>>

コーヒー

紅茶

ソフトドリンク

あんみつ...等

焼印・グッズ

<<大文司屋焼印木札>>

500円


大文司屋の焼印を押したストラップ付き木札

<<手ぬぐい>>

800円


馬返しのシンボル石鳥居とお猿さんのデザイン

<<マグカップ>>

1,000円


焼印デザインの陶器マグ260mlとたっぷりサイズ


上記商品はいずれも郵送も承りますのでご希望の方は下記までご連絡ください。

hdtkng@daimonziya.com

アクセス

大文司屋
<<お車の場合>>

①北口本宮富士浅間神社から出発→②中ノ茶屋前までは、一般道138号線から「富士浅間神社東」交差点を右に曲がります。10分ほど走行すると、中ノ茶屋が見えてきます。→③中ノ茶屋からは分岐となる道がいくつかあるので間違わないように注意してください。中ノ茶屋の前の道を通る道が大文司屋へのルートです。→中ノ茶屋を抜けるとすぐに「ゆうきょうばし」と札に書かれた橋があります。この橋を越えてまっすぐ進んでください。→⑤駐車場までは15分ほどかかります。駐車場は無料でご利用することができ、登山シーズンには仮設トイレのご用意もあります。→⑥駐車場を出て、馬返登山口に入り、階段を上ると大文司屋に到着です。

<<電車・バスの場合>>

①富士山駅から出発→②駅からは富士急行バス(馬返しバス)に乗ります。本数が少ないのでご注意を。→③バスで約30分すると馬返しに到着します。馬返登山口に入り、階段を上ると大文司屋に到着です。

※ Google Map の経路案内をご利用の場合、お車でお越しの場合でも、徒歩の経路をご利用ください。

中の茶屋(マップ上 A 地点)からの詳細なMAPです。

お知らせ&お問合せ

お問い合わせCONTACT

mail.hdtkng@daimonziya.com

営業時間: 8:30~16:00(※季節により時間に変更があります。)

営業時間: 8:30~16:00

(※季節により時間に変更があります。)

営業期間: 4月上旬~11月上旬

営業期間: 4月上旬~11月上旬

Instagram twitter